札幌高等裁判所 昭和51年(う)3号 判決 1976年5月25日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年に処する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人横路民雄提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、当裁判所はこれに対し次のように判断する。
控訴趣意中事実誤認の論旨について。
所論は、沖津信一が空びんを手に取って被告人に殴りかかろうとするのに対し自己の生命・身体を防衛するためにした被告人の原判示所為は、結果的に防衛の程度を超えたもので、過剰防衛に該当し、かりにそれが認められないとしても、被告人はガラス戸に映った右沖津の様子から同人が空びんで殴りかかってくるものと誤信した結果右防衛行為に及んだものであるから、誤想過剰防衛にあたり、被告人の沖津に対する暴行を単に憤激による行為と認定して、過剰防衛もしくは誤想過剰防衛を認めなかった原判決には事実の誤認がある、というのである。
そこで一件記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を合わせて検討すると、被告人は、検察官の取調に対し、沖津信一に暴行を加えるに至った経緯について、当日下宿先の原判示斉藤守方の居室で飲酒していたが、斉藤方の玄関から外に出たところ、表に停車中のダンプカーの助手席に乗っていた沖津信一が「靴を持って来い。」と言うので、「自分のことは自分でやれ。」と言ったところ、車を下りてかかってきた同人に手拳で後頭部を一回殴られた。腹が立ったが取組み合っただけでこらえたものの、同人に押しころがされ、衣類が水にぬれたので、着替えをしようとして玄関の方へもどると、同人が「逃げるのか。」と言って追いかけてきた。コーラ、サイダー、一升びんなどの置いてある玄関のところで同人がこごまるかっこうをするのが玄関のガラス戸に映ったので、同人がかかってくると思い、先にやらなければやられると考え、とっさにそばにあった一升びんの口元の方を右手に握って同人の頭を一回殴った。びんは割れ、沖津はふらふらとなり、手元にはびんの口の方が残ったがその破片を横に振ったと思う。その後すぐ同人はその場に倒れた、との趣旨の供述をしている(検察官に対する供述調書)。また、原審及び当審公判廷における被告人の供述は、沖津に殴られ、ひっくり返されたけれども相手を押えて起き上っただけで、積極的に反撃はしなかったこと、ガラス戸に映った沖津の身をこごめる姿を見て同人がびんを持ってたたいてくるのでないかと思ったこと、同人を一升びんでたたいた後まだかかってくるように思ったのでびんの破片を横に振ったことを述べる外、ほぼ検察官に対する供述と同趣旨である。
他方、沖津信一は、司法巡査の取調に対して、私は靴もはかずに下宿先においてあった会社の車にとび乗ったので、被告人が出て来たのを見て靴を取ってくれるよう頼んだところ、「自分のことは自分でやれ。」というようなことを言われ、立腹して車からとび出し、被告人を手拳で殴打し押し倒した。被告人は立ち上って玄関の方へ逃げたと記憶するが、私は大声で「待て、この野郎。」と叫びながらあとを追ったところ、被告人がどこから持ってきたかわからないが一升びんを持っており、それで私の頭を殴りつけ、私は気を失った旨を供述し(司法巡査に対する供述調書)、検察官の取調に対しては、私は斉藤方玄関先を出た道路のところに停っていた小型ダンプの助手席に乗り込んだがスリッパばきであったので、出て来た被告人に靴を取ってくれるよう頼んだところ、「自分のことは自分でやれ。」といわれ頭に来て、車から下り、被告人と取組み合い手拳で頭あたりを殴打し、二人ともそのあたりにころんだ記憶がある。被告人は起き上り玄関へ向かったので、あとを追いかけ、被告人と一メートル位離れて向かい合ったところ被告人がいきなり一升びんを右手に持ち振り上げて私の後頭部を思いきりぶんなぐり、さらに右腕あたりを切られたような感じがした。その後私はその場に倒れてしまったと思う旨を供述する(検察官に対する供述調書)。
また、斉藤秀明の司法巡査に対する供述調書によれば、大声が聞こえたので表に出ると、被告人と沖津が取組み合っており、とめると一旦おさまったので部屋へ帰ったが、一、二分ぐらいしてまた大声がするので表に出ると、沖津が血だらけになって倒れており、そばに被告人が立っていて、びんのかけらが散らばっていた、という。さらに武蔵三雄の司法警察員に対する供述調書によると、初め、沖津はトラックの外に、被告人はトラックの中におり、沖津が被告人を車の外に引きずり下して取組み合いの喧嘩となり、二人は取組み合いながら玄関先まで来たが、被告人はとっさに一升びんを取り沖津の頭部を殴打した、という。記録上あらわれた目撃者の供述は右両者だけである。
司法巡査作成の実況見分調書、当裁判所の検証調書によると、本件犯行現場は、表道路から路地を約一三・六メートル奥にはいった斉藤守方玄関前で、犯行当時その場の右側(玄関に面して)地上には一升びんなどの空びんが集めて置かれてあったこと、玄関の引き戸は上半分に透明ガラスが入れてあり、日没時ごろの薄暗い状態のもとでも、右引き戸の手前に立って右ガラスを見ると、背後に立った人物が上半身を前にかがめる姿の輪郭がガラスに映るのが見えることが認められる。
以上の各証拠を相対比して検討するのに、斉藤方の表道路に停車中のダンプカーに乗り込んでいた沖津が被告人に「靴を持って来い。」と言ったのに対し被告人が「自分のことは自分でやれ。」と応じたことから、立腹した沖津が車を下り被告人の後頭部を手拳で殴打し、押し倒すなどの暴行に及んだこと、被告人は積極的に手向うことなく相手を押さえて起き上り、玄関の方にもどったところ、沖津が「待て、この野郎。」と叫びながらあとを追いかけたことは、被告人及び沖津の供述がほぼ一致するところであって、右両名の供述により優にこれらの事実を認定することができる。もっとも、武蔵三雄の供述は、上記のとおり初め被告人がトラックの中にいたように述べ、また二人が取組合いながら玄関先まで来たと述べる点で右と著しく趣旨を異にするが、同人の右供述は、被告人及び沖津の右各供述に照らし、且つ武蔵が右目撃当時かなり酩酊していたと認められること(被告人の当公判廷における供述、沖津信一の司法巡査に対する供述調書)に徴して、たやすく採用しがたい。
所論は、沖津が空びんを手に取って被告人に殴りかかろうとしたと主張する。しかしながら、沖津の右各供述その他関係証拠に徴すると、沖津は上記の経過で被告人を追いかけ玄関前で被告人の背後に近づきはしたものの、被告人を空びんで殴りつけようと意図して空びんを手に取りもしくは手に取ろうとし、またはその他の方法で被告人に暴行をしかけた事実まではなかったものと認められる。被告人の右各供述及び当裁判所の検証調書を総合すれば、玄関先で沖津が被告人の背後に近づいたとき、被告人は玄関の引き戸のガラスに沖津が上半身を前にかがめるような姿勢をとる姿が映るのを見たことを認めることができる。しかし、ガラスに映った沖津の姿勢は右の程度のもので、傍らの空びんに手をかけもしくは手をかけようとする姿が映ったというものではないから、この点は後述のように被告人に沖津の攻撃を誤信させる理由となったにせよ、沖津が攻撃をしかけた事実がなかったことについての上記認定と矛盾しもしくはこれを左右する事情というにはあたらない。したがって右の段階で被告人が沖津から急迫不正の侵害を受けた事実はなかったと認めるのが相当である。
次に被告人の右各供述及び当裁判所の検証調書を総合すれば、被告人は上記のとおり玄関の引き戸のガラスに上半身を前にかがめるような姿勢をとった沖津の姿が映るのを見て、同人が傍らの空びんを取り上げて殴ってくるものと思い込み、自己の身体を防衛する意思で、とっさに傍らにあった空の一升びんを取り上げ同人の頭部を殴打したこと、びんは割れ、沖津はふらふらとしたが、被告人はなお沖津がかかってくるように思い、引き続き手に残ったびんの破片を横に振り、沖津の右肘部に原判示の傷害を負わせたことが認められる。上述のとおり客観的には沖津が空びんを取り上げて攻撃しようとした事実はなく、ガラスに映った同人の姿も空びんに手をかけもしくはかけようとしたものではないが、それまでの沖津の被告人に対する振舞、たまたま傍らに空びん類が置かれてあったことなどその場の状況に着目して考察すれば、被告人が右のように誤信したことも不合理とはいえない。してみれば、被告人は、沖津に対し客観的には防衛行為の要件を欠く場合であったのにもかかわらず、沖津からの急迫不正の侵害を誤信した結果防衛行為として右暴行に及んだものと認めるべきである。そして、被告人が一升びんの破片を横に振った動作は、その時期・態様からみて一升びんで殴打した動作と包括される一連の防衛行為としてなされたものと認められる。しかしながら、関係証拠によれば、被告人の認識においても、沖津はいまだ一升びんを手に取っていたものではなく、ことに被告人に一升びんで殴られた後はふらふらとして被告人に攻撃を加える姿勢を示していなかったことが窺われる。したがって、被告人の本件所為は、その態様に徴し、また、被告人の認識したところに基いて考えても、明らかに防衛の程度を超えたものといわなければならない。
そうだとすると、被告人の沖津に対する暴行は、客観的には急迫不正の侵害を受けていなかった場合である点で過剰防衛には該当せず、この点の所論は理由がないが、急迫不正の侵害を誤信した結果防衛の意思でなされ、しかも防衛の程度を超えた点で誤想過剰防衛に該当するというべきである。それゆえ、被告人の所為につき誤想過剰防衛を認めなかった原判決は判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるといわなくてはならない。論旨は右の限度で理由がある。
そこで量刑不当の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書を適用して当裁判所において直ちに次のように自判する。
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和五〇年一一月一六日午後三時五五分ころ、止宿先の釧路市松浦町七番二〇号斉藤守方表路上で、酒に酔って駐車中のダンプカーに乗り込んでいた同僚の沖津信一(昭和一三年一一月七日生)から「靴を持って来い。」と言われたのに応じなかったことから、同人に手拳で頭部を殴打され、地面に押し倒されるなどの暴行を受けたが、同人を押さえて起き上り、斉藤方玄関に向かって歩き出したところ、右沖津が「待て、この野郎。」と叫びながら追いかけて来た。被告人は、右玄関前まで来たとき、玄関の引き戸のガラスに被告人の背後に近づいた沖津が上半身を前にかがめるような姿勢をとる姿が映ったのを見て、それまでの同人の振舞いなどから、同人が傍らの地面に置かれてあった空びんを手に取って殴りかかってくるものと誤信し、自己の身体を防衛する意思で、防衛の程度を超え、とっさに傍らにあった空の一升びん(押収してある一升びんの破片二個はその破片)の口元の方をつかみ、同人の頭部を一回殴打し、一升びんが割れて手元に残った破片を横に振るようにして同人の右肘部に切りつけ、その結果同人に対し加療約三か月を要する頭部、右肘部切創(右手指機能障害を伴う)、出血多量(肘動脈断裂)等の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)≪省略≫
(累犯前科)
被告人は、(一)昭和四五年一〇月七日、旭川地方裁判所で殺人未遂・銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪により懲役一年六月に処せられ、同四六年一〇月一九日、右刑の執行を受け終り、(二)その後犯した窃盗罪により、同四八年一月一〇日、留萌簡易裁判所で懲役一〇月に処せられ、同年一〇月二五日、右刑の執行を受け終ったもので、右事実は検察事務官作成の前科調書及び原審第一回公判調書中被告人の供述記載によって認める。
(法令の適用)
被告人の判示行為は、刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、被告人には前記の前科があるので、刑法五九条、五六条一項、五七条により三犯の加重をし、右は誤想過剰防衛であるから、同法三六条二項、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書によりその全部を被告人に負担させないこととする。
以上の理由から主文のとおり判決をする。
(裁判長裁判官 粕谷俊治 裁判官 高橋正之 豊永格)